日田南画会/大分県日田市
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第131回 日田南画会作品展
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ご挨拶
私たち「日田南画会」は昭和23年「平野五岳上人」ゆかりの専念寺に「水嶋竹翠先生」主宰の三隈画会として発会しました。昭和25年から展覧会を毎年2回(近年は1回)開催して参りました、令和5年5月までに131回に及ぶ伝統ある日田南画会です。
お知らせ 第132回日田南画会作品展の予定
令和6年5月3日(金)ー 5月6日(月)
第131回 日田南画会作品展公開中
会場:日田市民文化会館
(パトリア日田ギャラリー)
☎0973-25-5000
「豊後南画を日本遺産に」
2022年4月20日「一般社団法人豊後南画SAIKO会」が新規設立されました。
「SAIKO」には、「再興」のほかにも、「最高」「再考」などの意味も込められています。
豊後南画の魅力を多くの人に知ってもらえるよう、頑張っていきます。よろしくお願いします。 「豊後南画SAIKO 会フェイスブックより」
去る2021年5月21日、竹田市直入町長湯の「大丸旅館」での会長以下役員の方々の写真です。
御覧の通り17名の参加者が集い南画への熱い思いを語り、今後の活動について意見を交換しました。
1 会長には、前竹田市長の首藤勝次さん、(後列中央の背の高い方)
2 世話人には、日田市民に人気の矢野大和さん(前列左側)
3 「三絶僧平野五岳を愛する会」代表 平野芳弘さん(前列左より3席目)
日田南画会は、「豊後南画SAIKO会」並びに「三絶僧平野五岳を愛する会」を応援しています。
皆様のご支援ご協力をお願い申しあげます。
日中文化交流がスタートしました。
令和5年3月28日「豊後南画SAIKO会」が令和日中文化交流の大分支部として竹田市長室にて調印式が行われました。
令和5年 第131回 日田南画会作品展を掲載
南画とは
南宗画と言われた由来
16世紀の中頃、明代末期の画家で、画論家の董其昌(とうきしょう)(1555~1637)が唐の時代に禅宗が南北両派に分かれたように、水墨画も唐の時代に禅宗の影響を受けて北宋画と南宗画に分かれたものであると説きました。また、中国南部地方の老化した、円い山の山水画を柔らかい線で描いた文人(職業画家でない人)が描いていた画派を南宗画とし、中国北部地方の険しい山岳や岩山を硬い輪郭線で描いた山水画派(職業画家)を北宗画としました。南宗画は、文人画と同じものとみなされるようになりました。
日本の水墨画
わが国では、すでに室町時代(1336∼1573)から僧侶達が南宋の画院画家の李唐とか「馬遠・夏珪」など北宗画に属する人々の画を将来していました。例えば「馬遠」などが山水の一隅をもって全体を象徴するような端的な表現をし、極めて的確に自然の神気を伝えましたので、禅宗の僧侶たちの嗜好に合い貴ばれました。同様に夏珪も、馬遠の画がどちらかというと厳正なのに対して、蒼老の気に勝るといって貴ばれ、特に牧谿などは、極めて高く評価され、多数の佳作を留めています。1470~80年代には雪舟のような巨匠さえ出していたほどです。それは16世紀末から17世紀始めにかけて行われた中国の南北宗派論の提唱以前の事であったわけです。
南宗画の伝来
その後、江戸時代後半になると、南宗画の絵も長崎を通して日本に伝来し、文人墨客は長崎に学び、或いは「芥子園画伝」や「八種画譜」などによってその技法を習得しました。池大雅、与謝蕪村、田能村竹田、浦上玉堂など秀れた作家を輩出し、中国南宗画の精髄を極めようとしました。
日本の南画
日本において、文人画と言われている絵には、様式的には文人画のスタイルもあれば、北宋画の様式を取り入れたものもあり、また、作者も教養人(文人)が趣味として描いているものではありません。そこで、日本では明治以降これらの絵を「南画」という言葉で包括し、これが明治以降定着し、文人画と言う言い方よりも「南画」と言う言い方が一般化されてきました。
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